プロフィール
1998年フランスW杯において、日本代表の右WBとして全3試合に先発出場。
鹿島ではリーグ年間王者3回、ナビスコ杯優勝3回、天皇杯2回と黄金時代の主力選手として活躍。2009年からはS.C.相模原ジュニアユース総監督に就任し、若い世代のサッカー指導に携わっている。
上記のように名良橋晃という男がこれまで積み上げてきた経験から、サッカーの専門的なアドバイスや練習方法、そして解説席では言えないような心の声まで文章にしてお届けしたいと考えております。
尚、本コラムは名良橋晃とBe-Winスポーツサロン編集部の対談形式で作成していきますので、「こんな事を教えて欲しい」「こんな事についてどう考えますか?」など、サロンメンバーからの質問も募集中です。
現役の選手や、ジュニアアスリートの親御様、部活の顧問など、様々な立場の人のご参加をお待ちしております!
ちなみに、初回コラムはディフェンスというポジションの話。
基本的にはサロンメンバーのみ閲覧できる限定記事になりますが、少しだけ対談の中身を公開いたします。
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B編:
元々学生時代はフォワードをやられていたとの事ですが、どのタイミングでディフェンスになったのでしょうか?
名良橋:
高三の11月に今で言うU-20代表に召集されて、そこで監督からSB(サイドバック)…というよりも、WB(ウイングバック)にコンバートされたのがディフェンス人生の第一歩ですね。
フォワード時代は相手を背負うシーンが多かったんですけど、ディフェンスだとそれがなくて基本前を向いているので、スペースがあればスピードに乗ってボールをもらえるという意味では、フォワード時代よりも攻撃面が強くなりました。
ただ、守備に関しては、その時点から初めて学び出したので、苦労したことを覚えています。
今のトレンドとしては、フォワードもファーストディフェンダー( = ディフェンスもやる)という流れになっていますけど、当時のフォワードはそんなにディフェンスは求められていなかったですし、本当に守備の頭が全くなかったですからね…
とにかく「U-20代表で生き残るんだ!」という思いしかなかったので、とりあえずはコンバートされたポジションで戦おうと思っていました。
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続きは、サロンメンバー限定記事 #1「ディフェンスというポジション(仮)」で読んでみてください。
よろしくお願いいたします。